この頃だったかな、親しい友人や家族に会う事すらできずらくなってしまったのは、
そもそもいける自信がないので約束を取るのが難しい。
へたに約束しようものならその前日から緊張をよぎなくさせて
その3時間前くらいから動悸との戦いの末出かけていた。
そんなことを繰り返すうちに私はだんだん友人と会わなくなった
この頃だったかな、親しい友人や家族に会う事すらできずらくなってしまったのは、
そもそもいける自信がないので約束を取るのが難しい。
へたに約束しようものならその前日から緊張をよぎなくさせて
その3時間前くらいから動悸との戦いの末出かけていた。
そんなことを繰り返すうちに私はだんだん友人と会わなくなった
電話が鳴るを怖く感じるようになった。
きっかけは定かではないが友人が励まそうと思ってかけてくれた
”ささいな一言”だったように記憶している。
電話が鳴るのが怖い、何しろ電話のベルが鳴り終わるまで部屋の隅で震えながら待つ日がつづいた。
結局私は電話が鳴らないようにするために電話線を抜いてしまった。
☆パニック障害の苦しみは周りにはわかりにくい上に療養期間が長い。ある日親しくしていた友が電話にもでなくなるのだから・・・可能なら病を患っている期間人間関係を失わないようちかっくにいる家族が配慮してあげてほしい。
私の場合何とか外の人間と接触できるのに8年の歳月を要した。どうしてに今まで連絡を取らずにいたのか、苦しかった事情と非礼を周りに説明するところから人間関係を再構築する事から始めた。
それはとてつもなく勇気が必要なことであったし、失ってしまった友人もいた。
☆パニック障害の出口がようやく見えたときうしなぅた時間と元の場所に戻る方法がわからずさらに苦む人が一人でも少なくなることを望んでいる。
PTA活動と同時にコーラス活動(その頃まだパニック障害だとは気付いていなかったので何とか外の出ようようと努力していた。)
たった週に1度の活動も時間が迫る恐怖に勝てづに継続を断念せざるを得なかった。
その後何かを始めるとき二の足を踏むようになってしまったのは恐怖心がのこぅている影響のようだ。
☆できればカウンセリングを受けておくことが懸命だ。