パニック障害!必要な助けはなに?の新着ブログ記事
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現在の私は多少鬱傾向にある。 そもそもの原因は夫との確執にあり、環境が変えられ以上回復は難しのかもしれない。 夫は未診断ではあるがアスペルガーの可能性が高く、 人の心の動きを理解しずらい彼との生活はじわじわと心にストレスを貯めていく。
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パニック障害、鬱、適応障害など心の病を理解してもらうことはなかなか困難だ。 現在の若い世代はそれなりに認知があるが、 年齢を重ねた人からの理解を得ることはより難しい。 私自身も病気になる前に感じていた事との違いに驚いた。 私自身ほかの事情があり、2か月ほど鬱状態が出ているときに実家に滞在したことが... 続きをみる
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胃カメラでも結果は正常でした。 ダダいつも以上に喉が過敏になっていてとてもつらかったのを覚えています。 その頃のわたしは次々受ける検査では正常との判断がなされましたが ”自分は死んでしまう””長生きはできない”と感じていました。 明らかに異常な心臓の動きや浅くなる呼吸に生命の危機を感じ、 夫には言... 続きをみる
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まずは血液検査、 歯科衛生士として勤務していたが衛生面に不安を覚えたことはなかった。 勿論血液検査にも不安を覚えたことはなかった ところがその時の私は肝炎ウィルスなどもろもろ感染症や病気の名前がが頭に浮かんで 結果が出るまでの日々そのことだけで憔悴するほど心配をした。 今思えばパニック障害の特徴の... 続きをみる
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以前にも書いたがそんな日々にある日変化が訪れた。 職場で突然経験したことのないよう動悸に見舞われた。 倒れ込むことはなかったがその場に座り込むほどの激しさだ。 呼吸は浅く乱れていて息苦しい状態だった。 そしてその症状は場所を選ばずたびたびおこるようになっていた。 そんな事を数回繰り返した挙句突然3... 続きをみる
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夫は自分の探してきた職場に文句をつける妻を毎晩怒鳴った。 そんな日が毎晩続いた。 結局彼は自分の行動を押し通し 結果は無残なものだあった。 収入は激減し残っていた預金も底をついた。 そして行き場のない彼の感情は”私を怒鳴る”という行為で自分を持ちこたえようとしているように見えた。 怒鳴られること ... 続きをみる
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転職には夫婦の意見は一致しなかった。 (家計を守る主婦としては今が一番安定を考える時期だと考えていたため安定していられる今の職場に残ることを希望した。) 当然毎晩のように話し合いという喧嘩が勃発した。 両者自分の意見を曲げようとはしないのだ。 私の条件は一つだけ今の収入を維持すること。 なぜならば... 続きをみる
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書き始めると長くなるので分けて書こうと思う。 当時我が家は社宅暮らしであった。 長女は私立高校受験の準備とし彼女が中学3年生になったときに定住の場所としてマンションを購入した。 マンション購入には利息の無駄を省くためにできるだけ現金をかき集めて頭金を払おうと夫と相談のうえ決めた。 そして新築でのマ... 続きをみる
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以前にも書いたがパニック発作と鬱は順不同で突然症状が現れる。 そして初期の治療が早ければは早い方が回復に時間が要す短くて済む。 例えば私の場合病院にたどり着くのに4年かかった。 そして友人に会えるまで回復するのには8年かかってしまった。 その後も再発をおそれストレスとなる要素をできるだけ排除しなが... 続きをみる
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私はパニック障害と戦っている事は娘に知らせることを避けた。 其のことが正しい事だったのかはわからないが、少なくとも娘達には普通の元気のよい相談相手である母親であることに徹したいというのが私の希望であった。私はまだ母親に甘えたい年齢の娘たちが病気を理由に遠慮してほしくなかったのだ。母親である私に、あ... 続きをみる
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パニック障害の特徴に強い予期不安がある。 何をするにも胸を締め付けられるような不安を感じる。 ただほんの少しの失敗ですら心臓はドキドキいても経ってもいられないのだ。 ☆一人でいることに非常に不安を感じやすいので、そばにいてあげるだけでも、大変な安心材料となる。
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TVの情報で自分の病はパニック障害だとの自覚を持ってから病院に駆け込むのに さらに2年の月日を要した。 理由は娘たちの母親が心の病を持っているとの烙印を押されてしまうようで 病院に足を踏み入れることに抵抗があったことと、強力な進めがなかったこと。 ところがそうも言ってられなくなった。娘の大學受験を... 続きをみる
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当時は何しろ目立つ色彩のもが嫌だった。 自分が人目に付くのが嫌だったんかもしれない。 来ている服はごくシンプルな黒かグレーで 頭は目深に帽子をかぶっていた。 不思議に感じるかもしれないがこの服装は鬱の人にありがちなものらしい。
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不調を抱えながらも胃の調子が悪いといえば胃カメラを飲まされ、体調不良には風邪薬が処方され、何かがおかしいと思いながらも自分から心療内科に紹介状を書いもらおうという発想は当時の私にはなかった。 その病名を知ったのは偶然みたあるTV番組からでした。出演しているコメンテーターの人たちの症状がどれもぴたり... 続きをみる
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パニック障害では鬱と同様の症状が出る。 私はとにかく朝の調子の悪さには悩まされた。 何とか家族が学校に送り出すために朝食を用意して送り出してからが大変であった。 洗濯機はかけるのだが一向干す気がしない。結局洗濯物は夕方までほせずじまい。 キッチンのお皿を洗う気がしない。横になるとうっすらとほこりが... 続きをみる
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この病気の特徴ともいえるところは頑張って楽しんだ後 (たとえば思い切ってランチに出かけた後)どっと疲れが出て寝込んでしまうことがあることです。次い先日も病気を告白した小林麻耶さんもランチの翌日寝込んでしまったと書かれていました。http://ameblo.jp/kobayashi-maya/pag... 続きをみる
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この頃だったかな、親しい友人や家族に会う事すらできずらくなってしまったのは、 そもそもいける自信がないので約束を取るのが難しい。 へたに約束しようものならその前日から緊張をよぎなくさせて その3時間前くらいから動悸との戦いの末出かけていた。 そんなことを繰り返すうちに私はだんだん友人と会わなくなった
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PTA活動と同時にコーラス活動(その頃まだパニック障害だとは気付いていなかったので何とか外の出ようようと努力していた。) たった週に1度の活動も時間が迫る恐怖に勝てづに継続を断念せざるを得なかった。 その後何かを始めるとき二の足を踏むようになってしまったのは恐怖心がのこぅている影響のようだ。 ☆で... 続きをみる
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もともと他都とと転勤族で地域の人たちと交流を持つことが大切と 考えていた私は進んでPTA活動に参加をしていた。 とことが ある日時間がちかづくと動悸がしてどうも体が動かない 出発まであと15分、10分、5分カウント ダウンが始まるたびに冷や汗がでる。 私はPTAの集まりがあるたびに恐怖を味わいなが... 続きをみる
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不定期に起きる動悸、呼吸困難。 私は自分の余命は短いと思っていて、その頃夫に ”子どもの未来を頼む!”何度も何度も遺言を口にしていた。 不定期に起きる動悸は心臓の病を連想されとても自分が長く生きていけるとは思えなかった。 ☆後々聞くがパニック障害で心臓の病で死ぬことはないそうである。
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我が家の場合、長女の受験が重な理ました。 読まなければならない資料、考えなければならない未来。 私の頭はまるで混乱してしっかり考える状態ではありませんでした、 自分の脳みそを半分取り出してしまってその中で考えているような気持ちでした。 ひょっとしたらアルツハイマー病にかかったらわかるはずの自分と理... 続きをみる
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当時の私時々襲う動悸にくわえてとにかく体力の消耗が激しかった。 毎日受ける点滴もかえって病人にさせているようで怖かった。 ”何か心に心配事は?”の先生の問いかけにも素直に応じることができなかった。 ”胃カメラの予約を取りましよう。”の言葉にも素直に応じるだけで ”心療内科の紹介をしてください。”と... 続きをみる
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電車にも乗れず、いつ起こるかわからない発作的な動悸な事情を知るのは 夫だけであったが・・・・そもそも彼が原因。 子どもの進学問題を相談しても上の空 毎日点滴に通う病院で本音は違う原因があるといいたい ☆ なぜあの時自分は心療内科を紹介してもらわなかったのか? その理由はひとつ 私に通院歴が... 続きをみる
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熱がつづいた後咳と喉の痛みに襲われる。時間にして1月以上の事だ。 決まって夫が隣で寝ているときにその状態はつづくのでもはや夫の隣に寝ることが私の危険と感じるようになった。 その頃の私は電車に乗ることができなくなっていた。 電車で一駅の場所に行くのに動悸とめまいを起こすようになっていた。
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原因不明の動悸が続きついには40度の熱をだした。 内科にかかるも何処にも炎症が見つからぬまま高熱は3日続いた。 体力回復のために点滴が打たれ、心電図をとられたが原因はほかにあると本人は感じていたがストレスですとは言えなかった。 ☆心療内科受診を勧めてもらいたかった。
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それは突然にやってきた。 当時の私は歯科衛生士として勤務に当たっていたが。 突然の息苦しさと激しい動悸でその場を立っていられなくなった。 その後そのような状態は時と場所を選ばずに時々起きるようになっていた。 家では相変わらず夫から怒鳴られる日々が続いていた。
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夫がある日転職を申し出た。 彼は安定した職業から歩合を含む生命保険会社に転職を申し出た。 娘は私立高校の受験をっ目の前に控えていたし。 マンションも35年ローンで購入したばかりだ。 私は転職自体に反対なのではなく収入が減ること 友人を生命保険の顧客に乞われることを危惧して反対であった。