パニック障害!必要な助けはなに?

パニック障害と鬱はとても関係の深い病だ。適切な治療が遅れると鬱繰り返す。完治は難しく、完解が終着点と考えて長く上手に付き合うことが大切だと最近は考え、鬱とともに生きることにした。

出来るだけ早い治療を

以前にも書いたがパニック発作と鬱は順不同で突然症状が現れる。
そして初期の治療が早ければは早い方が回復に時間が要す短くて済む。


例えば私の場合病院にたどり着くのに4年かかった。
そして友人に会えるまで回復するのには8年かかってしまった。


その後も再発をおそれストレスとなる要素をできるだけ排除しながら
そおっとくらすようになった。

完治ではなく完解

心の病になって感じたイメージは立ち治ったのだから前より強くしなやかな自分がいるイメージだった。


ところが鬱というのは厄介で、折れた場所がまた折れやすくなるようだ。
その点、癌と似ている。


完治ではなく完解なのだ。


心の隅っこに折れやすい自分も存在することを忘れずにいて自分から出た小さなシグナルを察知して再発の防止に役立ててほしい。

心の病

”心の病”それは想像していたものと全く違った。
締め付けられるような不安と、マイナスな言葉だけがこだまする
”心をちょっとプラスに持っていけばいいんだよ。”考えすぎないようにね。”


・・・・そんなこと全部わかっている。
でもそれが出来ないのが病なのだ。
そこをわてもらうのは難しい、


他のたとえをするならば、癌にかかったことのある人が抱える心の葛藤や恐怖を健常者が理解できないのと
同じだ。ただ心の病はそれにプラスして”心が弱いだけ””とか”怠けているだけ”
という厄介なレッテルを張られてしまうのだ
問題だ。


実際私がこの病を発症し悩んでいた時医療従事者でありケアマネージャーの資格を持って職に当たっている実の妹から”甘えているだけ!そんなことだから生活保護者がふえるんだよ!”とおおまじめに叱責を受けた。悲しかったしつらかった。
お年寄りには寂しさから鬱に陥ってしまう人が多いのではないかと思うと寄り添う気持ちがない担当者に当たった方が気の毒でならない。
”人はみな同じではない”そんな当たり前のことを理解しあうことはなんてむずっかしいことなんだろう、